フリーダム嫁ブログ、書籍の何が問題なのか?

『うちの嫁は虐待サバイバー』が発売されて一週間が過ぎた。12月14日13時23分時点での紀伊國屋書店のウェブストアでの在庫数は430冊。全国規模で考えた時、一週間で売れたのは1000冊弱あればいい方なのではないだろうか。

書籍の発売前、ネット上では好意的な声が多く「発売されたら買います」という意見がTwitterやブログのコメント欄には多かった。しかし、いざ、発売されてみると「買います」と言っていた人達はどこかへ消えてしまったかのように「買いました」と報告するファンの数は少ない。

それどころか、発売翌日からメルカリなどに出品される始末だ。

一般的に応援している作者の作品なら何度か読み直したいと思うだろうし、手元に置いておきたいのではないだろうか。それなのに、メルカリに出品され、それがすぐに売れ、また翌日には出品される。こんなサイクルになってしまうのには何か原因があるのではないか。

今回はその辺りを踏まえて、フリーダム嫁ブログとうちの嫁は児童虐待サバイバーのどのあたりが問題なのかを書いてみたい。

そして、それにあたり先に注意点を述べたい。

それは、「被害妄想が激しい方」や「読解力不足だと思われる方」、「可哀そうな人に理解を示す自分に酔いたいだけの方」はここで読むのを止めた方がいいという事だ。

このまとめは可能な限り客観的な意見を述べられるように配慮をしているが、それでも曲解して「非難している」「非難された」「何故、そんなことを言うのか理解できない」と言う人は一定数いる。

見たくないものは見ないという人にまで持論を押し付けようとするつもりは毛頭ない。

なので注意書きとして「見ない方がいいよ」とした上でわざわざ見る以上、不快な気分になったとしてもそれは自己責任であると思って欲しい。

上記のことを理解した上で、この記事を読み進めたい人は以下を読み進めて貰いたい。

フリーダム嫁ブログや書籍に賛同してしまう層について

まず最初に、フリーダム嫁ブログには内容に賛同する人と、矛盾点の多さから内容に批判的な人がいる。ここで注意して欲しいのは、これが単純な好みの話ではないということだ。

好き嫌いの話なら人それぞれ好みがあるから放っておけばいい。

しかし、フリーダム嫁ブログや書籍に対して批判的な意見をしている人たちは好みの問題ではなく、現実的な視点からこの作品を問題視しているケースがほとんどだ。

それは虐待描写であったり、他の記事でも書いた犯罪に抵触する描写、公的機関の対応への疑問、実在のキャラクターへの風評被害など、様々な問題点について作者に指摘をしている。

しかし、現状としてフリーダム嫁ブログ作者側はそうした指摘をする者を「アンチ」と認定して無視するという対応をしている。そうした対応が今日まで続くフリーダム嫁ブログへの不信という形になって表れていることを作者であるフリーダム嫁の旦那は理解をしていないのかもしれない。

また、そのファン達はそういった事柄には目を向けることなく実録ブログに対して「嘘でも本当でも問題ない」と見当違いな意見を述べる。

こうした状況に何故陥ってしまうのか。

それにはフリーダム嫁ブログと書籍に賛同してしまう層について語らねばならない。

「類は友を呼ぶ」ということわざがある。似た者同士は自然と集まるという意味だ。

例えば、何も考えずに楽しいことだけを追求する人の周りにはそういう人が集まりやすいし、知的なやりとりを好む人の周りにはそういう人が集まりやすい。

フリーダム嫁ブログで言えば、作者である旦那の表現力と説明力はこのまとめの他の記事を見て貰えれば分かるように矛盾点が多い時点で不足していると考えられる。ここに、読解力が普通にある人は違和感を感じてしまうのだろう。

しかし、読解力や理解力が不足している人ならどうだろう。矛盾していることにすら気がつけないのではないだろうか。

そうなると表現力・説明力が足りていない旦那と読解力・理解力が足りていないファンは相性の良い組み合わせだ。フリーダム嫁旦那が提供する「嫁がかわいそうな話」という分かりやすいテーマをそのまま受け取って、「お嫁さんかわいそう」と共感する。その際に他の矛盾点などは気にも止まらない。

単純に可哀そうな嫁の話を聞いてかわいそうだと感じているだけだからだ。そして、厄介なことにそういう人ほど一度「これはこういうものだ」と感じてしまうと、なかなかそのフィルターを外すことが出来なくなる。

この作品の場合だと「かわいそうな嫁の話」というフィルターが装着されてしまっているので、以降、どの記事を見たとしてもかわいそうな嫁の出来事として受け取ってしまうようになり、記事に矛盾などがあっても「かわいそうな嫁だから仕方ない」という思考をするようになってしまう。

しかし、読解力や理解力が人並みにある場合なら「嫁がかわいそう」と「話に矛盾がある」ということは別物として捉える。「確かに嫁は可愛そうだけど、これは少し話がおかしいんじゃないか?」と考え、そこから矛盾点などに気づき、更には問題になりそうな部分にまで気づく。

言葉は悪いが足りていない同士だからこそ逆に分かり合えるというわけだ。

次に挙げられるのが、フリーダム嫁をかわいそうと思う事で、他人をかわいそうだと思える自分に酔っている人だ。これらの人は「かわいそうな記事を見てかわいそうだと思っている自分」に酔っているので、記事の正確性など問題ではない。

自分がかわいそうだと思えるフリーダム嫁の存在が重要なのであって、それ以外に価値を感じていないからだ。これはフリーダム嫁の書籍版を「買います」と言っていたにも拘らず何だかんだと理由をつけて購入していない層も存在することからも間違いはないと思う。

書籍を買えばフリーダム嫁が喜び幸せを感じる。そうなるとフリーダム嫁がかわいそうな存在ではなくなり、それをかわいそうだと思っていた自分に酔う事が出来なくなる。

だから書籍発売前はあれだけ「買います」という声があったにも関わらず、書籍発売後には実際には書籍を買ったという人が少ないという事が起きるのではないだろうか。

読解力・理解力が不足している人とかわいそうだと思う自分に酔っている人、この人達にはいくら記事が矛盾していて問題があると言ってもなかなか伝わらないだろう。

片や聞いても単純にしか理解できない人、片や自分にしか興味が無い人だからだ。

一見、こうした読者層はどこにでもいるので何の問題も無い様に思える。

だが、フリーダム嫁観察日記及びうちの嫁は児童虐待サバイバーが問題となるのは、これが児童虐待を取り扱った実録という位置付けだからだ。

誤った情報の流布が呼ぶ悲劇も想定することの必要性

実録という言葉の意味は「嘘偽りのない事実をありのままに記録すること」である。ということは、この作品に書かれている情報は事実を元にしたものであるので参考にすることが出来るという事だ。

これを前提にして、ブログや書籍から気になる部分を挙げてみよう。

まず、義父により太ももに裁ちバサミをさされたフリーダム嫁が、自分でハサミを抜き刺された場所を押さえて止血したという描写がある。これは一歩間違えれば出血多量の恐れもあるし、傷口が化膿することによる合併症の危険もあるが、病院に行った描写は無い。

恐らく実際に病院に連れて行ったら事件として警察に通報される可能性も考えて病院へは連れて行って貰えなかったのだろう。と、私なら考える。

だが、先述した理解力が足りない人の場合だと「太ももをハサミで刺しても大したことない」と解釈して軽い気持ちで他人に対して行動しかねない。

特に心配なのは倫理観などが十分に成熟していない子供達がこの書籍を見た場合だ。

この本は小学館が対象年齢を高校生くらいとし学校図書推薦と宣っているので、地域の図書館や学校の図書室に納付されることもあるだろう。

そこでこの本を手にした子供が影響を受けて真似をしてしまう可能性は十分にある。そうでなくとも高校生がTwitterなどネットで見た情報の影響を受け事件化するケースが後を絶たない。

その際の供述は大抵「ネットや本に書いてあった。やっても大丈夫だと思った」というのが多く、やっていいことと悪いことの区別がついていないという印象を受ける。この様に、「フリーダム嫁の本では死ななかったから、やっても大丈夫と思った」というのは普通に考えらえる範囲のことだ。

また、フリーダム嫁が薬の大量摂取ということで160錠ほどの薬を飲んで病院に緊急搬送されたという記事があるが、この記事内では何事もなかったかのように日帰りしている。

自殺を考えている子供がこれを見て「160錠くらいじゃ自殺出来ない」と判断して、更に量を多く摂取して本当に取返しのつかない状態になってしまう可能性もある。

他には病院は信用できない、警察は信用できない、公的機関は当てにできないなど外部に対する不信をブログや書籍でまき散らしている。そして、虐待される状況から抜け出しても虐待の後遺症が待っていて、それを抜け出す術については語らない。

これでは、今、虐待を受けている子供がこれを見た時に頼るべきものが見当たらなくなってしまうのではないか。

親はもちろんのこと、警察も公的機関も当てにできない。自分はどこの誰に救いを求めればいいのか。そして、もし、虐待される環境から抜け出しても更なる苦しみが待っていると言われたら心が折れてしまうのではなかろうか。

「虐待されている子供の救いになればいい」と語っているが、どこを見て救いになると考えているのか。

相談所の連絡先の記載も無い、公的機関の連絡先も無い。虐待を受けている子供はスマホを持たせて貰えなかったりして情報の取得方法も制限されている場合があるだろう。

そういった時、虐待を受けている子供の救いになればいいと出版された書籍に、その手の必要な情報が記載されていなかったら、その子供はどこで情報を得ればいいのか。

行動の制限をされるケースが多い虐待被害者に、他の虐待関連の情報に触れるチャンスは二度と来ないかもしれない。限りあるチャンスの中で必要な情報を与えることができない書籍がどんな救いになるのか甚だ疑問である。

立派なお題目の元に「虐待」という分野でブログを公開したり書籍を販売するのなら、対象となるユーザーがその本を手にしたときに起こり得る可能性についてもしっかりと考えておく必要があるのではないだろうか。

もし、今現在虐待を受けている人で、参考になる情報に触れられたかもしれない機会を、フリーダム嫁コンテンツに奪われてしまった方がいたら本当に不幸だと言わざるを得ない。

フリーダム嫁コンテンツの問題点とは?

最後に、フリーダム嫁コンテンツの問題点を挙げる。他のまとめ記事や、文中でここまでにも書いたように、フリーダム嫁コンテンツには様々な問題点がある。

虐待を謳った書籍としての問題点を挙げるなら、虐待自体に触れているのは30~40ページ程で、残りはフリーダム嫁の男性遍歴と、旦那に出会ってから結婚するまでのエピソードで全てを虐待に関連づけるのはどうかという内容だ。

例えば旦那がフリーダム嫁以外の女性にちょっかいを出していたことでフリーダム嫁は心を病み始める。虐待を受けたことで人間不信などの下地はあったかもしれないが、それを呼び覚ましたのは間違いなく旦那の心無い行動である。

フリーダム夫妻が通っていたガールズバーのAさんがフリーダム嫁に嫌がらせをするようになったのも旦那のせいだし、旦那の母親と良い関係を築けなかったのはフリーダム嫁自身の人付き合いの未熟さと旦那の調整下手が原因だ。

虐待を受けていたからAさんに嫌がらせをされたわけでも、旦那の母親に嫌われたわけでもない。すべては旦那と嫁、二人自身の責任である。

それを棚に上げて「虐待を受けたら~」などと言われても何も響かない。旦那の母親からしたら「虐待を受けてきたら何をしても許さないといけないのか?」ということだろう。

フリーダム嫁旦那はこのようなツイートも挙げているが、傷つけられても相手が謝ったら許さないといけないというのを旦那の母親の立場に置き換えれば、相手が虐待を受けてきたから多少のことは許さないといけないということだ。

どちらの場合も許さなければ加害者扱い。現に母親の心配から出た言葉は「デリカシーが無い」の一言で旦那に封殺されている。

息子が連れてきた、過去に虐待を受けて子供を産めるかどうかも、育児もできるのかも分からない女性を何も言わずに認めなければいけない母親。認めなかったから旦那の母親はフリーダム嫁の夢を砕いた悪という立場になっている。

これは親の立場としては十分辛いものがあると思う。

こうした旦那の悪手により余計な負担が嫁にかかり病んでいく様を「虐待の後遺症」というのは如何なものだろうか。

ガールズバーのAさんの件も、結婚時の親と嫁の間での調整失敗も、どちらも虐待とは関係なく旦那自身の不手際だ。

そんな不手際を「虐待の後遺症」ということで一括りにされて、最後は旦那と出会えたから救われた。

虐待とは無関係に育った大人がこれを読んで「虐待って大変だな。自分も周りに気を配ろう」とは思えないだろう。

言い方は大変悪いが男性から嫁を見た場合は「めんどくさい女」、女性から旦那を見た場合は「役に立たない男」という点が目立ってしまい、虐待ものとしての共感は得辛い内容構成だと思う。

一般の大人には虐待の啓蒙には繋がりにくい、虐待被害を受けている子供には救いにはなり難い。こうした実情が、掲げているコンセプトと大きくかけ離れていることが問題だということにまずは気づいて欲しいが無理だろう。

それこそが、最初の方で読むのを止めた方がいいと断りを入れた理由と重なるものだ。

今回も長々と書いてしまい申し訳ないが、この記事で書こうとしていたフリーダム嫁コンテンツの最大の問題点は下記である。

「理解力・判断力が低そうな人に、ダイレクトに浸透しやすい形で誤った情報を配信してしまっている」

これが最大の問題である。

本書の内容を借りて、書籍から得られる情報を言ってみれば

「虐待?死なない程度なら捕まらないし、捕まってもすぐ出てこれる」
「薬を大量摂取しても寝かせておいて、寝起きにお茶出せばOK」
「児童買春も地域ぐるみですれば捕まらない」
「リストカットくらいなら絆創膏で十分」

などの分かりやすい誤情報がそれであり、ブログを含めると「センセーショナルな内容で注目集めれば、絵や文章が下手でも簡単に書籍化できて小金ゲット」という大変分かりやすいメッセージも見て取れる。

そうした物を目にした別の誰かが、同じような手法で同じように小金を得ることができるんだと考えてしまうようになると、世の中には何の価値もない書籍が大量にあふれ出て、出版業界は衰退の一途をたどるようになるかもしれない。

現在のネット全盛の社会。誰もが自由に自分の作品を他者に向けて公開できる時代。他者に公開するための最低限のラインもルールも排除された今のような世の中だからこそ、フリーダム嫁コンテンツの様なものが跳梁できている。

だが、誰もが自由に表現を出来る世の中だからこそ、最低限の良心を持って欲しいと思うのは高望みなのだろうか。

そうした良心の育成の為にも、このまとめサイトのようなものは必要なのだと感じていただける方がいたら幸いである。

今回も最後までご覧いただき感謝する。

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